「どうすればよかったか?」を観た。
平日にもかかわらず連日東中野が満席で、当日もすごい混雑だった。
まず感想としては、おそろしかった。
映画自体に怖い描写だったりはなく、とても管理されたドキュメンタリーといった印象ではあったものの、
色々な面で観た後もずっと考えがめぐるような時間を過ごした。
以下、あくまで1回しか見ていない映画から得た情報であり、それこそ「どうすればよかったか」などと他人が言えることではないと思う。
背景と年代について
まず、これは精神的に調子を崩した姉(恐らく統合失調症)をもつ弟が監督したドキュメンタリーで、弟が家族の様子を何十年にもわたり記録したものであった。
監督は恐らく60代前半で、私の父ととても年齢が近い。
監督自身が高校生のときから姉は様子がおかしくなっていき、ただ両親は姉に治療を受けさせず、家に置いた。その後25年ほど「放置」された姉。監督は、社会人になってからは実家によく帰り、姉の様子を伺い、両親を説得しようとしているように見えた。
この映画をあらすじだけ見て友人と話していたとき、友人は「弟が病院に連れて行けばよかったのに」と言った。
ただ、私自身の父のことを思うと、そんなことを彼はしないと思う。まだ、親の言うことが絶対という規範も現代より強いだろう。
そして精神疾患への偏見の目も今よりも強く残っていただろうと思う。
また、親ならまだしも、兄弟のことについてどれくらい責任を負うべきか?というのは、世間の目が厳しすぎるように思う。
親は子を育てる責任をもちろん覚悟すべきだが、たまたま病気の兄弟を持ったというだけで、自分の生活やお金や時間を犠牲にしなければいけないのか。
この点に関して、この映画からは十分すぎるほどにこの問題に関して葛藤している監督の様子が伝わってきた。
また、私自身長子だけれども、私自身がこうなったら…と思うと、この映画のような結末はまだ良いほうかもしれないと思った。もしも両親が私の病気を隠そうと思いたったとして、下の兄弟がそれを押しのけてまで私の面倒を見るか?というと、確実にそんなことはしないと思う。
私は結構干渉してしまうタイプなのに対して、妹は全くそのような雰囲気はなく、これは長女というものの性質なのかとも思う。
私の場合は父も母に反対してまで…ということは望めないので、母がこの映画と同じような対応を取った場合絶望的だと思った。
ただ、この映画の場合は両親が医者だったり、かなりのお金持ちということもあるので、それはむしろ悪影響を与えているように見えた。
地域
札幌が舞台だったのだが、私は以前札幌に住んでいたことがある。実家は太平洋側なのだが、札幌の冬の長さ・日の少なさ・寒さは本当に人間の精神を弱くさせると思った。冬季鬱のひどいバージョンにもなった。
また、札幌は大都会なのだが、東京からかなり離れているし、やはり地方都市である。
いい意味でおおらかでもあり、中央規範が届くのに時間がかかる面もある。とくに価値観というところでは少しずつ遅れる部分もあると思う。
姉妹
終盤に、母親の妹(監督の叔母)が出てきたのだけど、親である(叔母からみた)姉がこれでいいと思っているのだから、私が口出しする立場にはなかった、といった趣旨のことを言っていた。監督としては、親族であり、大人であった叔母が自分の母を説得してくれたりはしてくれなかった、という思いがあったように見えた。
もちろん個々人の性格は違うものの、私の祖母も自分の姉の近くに住んでいたのだが、「姉には息子がいるから」とよく言っていた。
思ったことを次々と書いてしまったのだけれども、とてもとてもこのエピソードに関して「どうすればよかったか?」などとは考えられない。
もちろん監督ご本人には葛藤もあるのだろうけど、とても頑張っていて、不安になるほどだった。あきらかに大きすぎる負担だし、なにか困ったことがあっても異常な状態の実家には頼れなかっただろう。
監督の初日舞台挨拶の記事を読んで、これまでとドキュメンタリーを作るという同じ作業のなかで、前作のアイヌの人権問題の映画と違って、今作がこれほど注目されたことに複雑な思いがあると仰っていた。
個人的にはアイヌの問題にも興味はあるけれど、やはり家族の問題は全世界、だれにとっても身近であり、精神的な問題を抱えるひとだって多いはずだから
それがぴったりと世間の関心にはまったのだろうか、と思った。
(個人的にも、こわいもの見たさというのは確実にあるけれど)
よくできた作品ではあるものの、編集は淡々としているので劇場でのほうが集中して鑑賞できると思った。公開規模が小さいものの、タイミングがあればぜひ。